すいません。私の通う学校に愛着のある方は、この一個前の日記は読まないほうがいいと思います。ってもう手遅れか。
なんだか怒り任せに書いた日記に、書いたそばから後悔しはじめた。私が怒ることには正当性があると疑わないけれど、その怒りをblogでぶちまけることになんの生産性があるんだろう。私個人にとっては、怒りをことば化するのがそれを鎮める最も適切な手段だからいいとしても、特に私の学校を知っていて愛着を持っている人が読んだら不快な気持ちになるだろう。ごめんなさい。でも書いてしまったものは消さない主義なので、消しません。さらに、ごめんなさい。
さすがにblogで文句言ってるだけじゃ単なる陰口だから、学校にも問い合わせというかたちで抗議のメールを送った。一日置いてから今日、返事もきた。本当にソツのない文章が返ってきた。当たり前なのか。でも私の「何故」に対する答えが、どうして私がそこに疑問を抱いたのか考えたら答えになるわけない答えなんだよね。それくらい、学校にとっては当たり前のことなんだと思った。問い合わせ、なんて遠まわしなやり方をした私が間違いだったと思って今後はこうして欲しいという要望をさらに返信した。
怒り任せの日記で後悔した部分の一つは、他者のことをとやかく言う前に自分のことをしっかりしろ、というような捨て台詞を書いてしまったこと。なんか、こういうのって我が身に返ってきて、“うわ〜、でも私も学校にとやかく言えるほどちゃんとしてない〜”って自己嫌悪に陥った(←バカ)。感情的にはともかくとして議論の上では、相手の間違いを指摘することで自分の正しさを証明できるわけじゃない。
それと似たようなもので、ある側面で不手際や未熟な部分があったからといって、そのことがその人やその団体の全ての活動を否定できる理由にはならないと思う。もっとも、大きな組織で細部を判断する材料がないときにその組織の一片の不祥事をもって不信にいたるということは当然だ。でも、私は自分の学校の施策というかやり方について、それぞれ議論できるだけの材料を持ち合わせているはずなのに、それを投げてああゆう捨て台詞を吐くのは卑怯だなと反省した。
それともう一つの反省は、やっぱり怒りで理論的思考がとんでしまうこと。まーいつもとんでるけどね。とあるブログが私の日記にリンクしてコメントしていたのだけれど、たった2行程度のコメントになんだか悲しい笑いがもれた。そのコメントは、自分の学校とは違うのでピンとこない。最後の数行は余計だが、フェミだから仕方ない。というもの。フェミは「仕方ない」ものなのかと、今更ながら自分の中でひっかかった。
最後の数行がフェミ的視点で書いたものだということは認めるけれども、そもそもピンとこない内容の文章で、そのフェミ的視点が余計かどうかなんて、どうして判断できるんだという思いもあったし、フェミであるというだけでスタンダードではないという意味をあらわしているそのコメントの文章自体にも変な可笑しさを感じた。
でも、よくよく考えてみるとフェミ的視点は「普通」ではないからこそ、既に流行は終わったとしても学問の中で一定の地位を得ているわけだ。だからフェミ的視点で書いたものが違和感を与えるのは当然なのだ。そうなのだけれども、フェミ的視点で物事の違う側面を見る、その程度のことで満足していい次元に自分はいるのだろうか。フェミ的視点で映画を観たり、世の中を見る。それは他人に歪んでいると言われようと楽しい作業でもある。
自分のサイトの映画のページに関しては、フェミ的かどうかに関わらず自分と違う視点の感想を楽しんでもらえればいいと思って書いている。あえて、他の人の感想を引っ張り出してきて、どちらの解釈が正当かとかそういうことを議論するつもりもない。
でも、学校とか社会に関しても、自分と違う視点を楽しむ、なんて言ってたら人を説得する力にはならない。そもそも人を説得したいのか、というところでつまづいている私だけれども、そういう視点で見てみようという気にもならないようなかたちでフェミ視点を提示するのは、何か不毛だし、フェミニストが単なるひねくれ者であるというイメージに貢献することになってしまうんじゃないだろうか。
だから、どうして一個前の日記で最後の数行を付け足したのか、ちゃんと説明しようと思ったのだけど、これも凄い長文になりそうだなぁ…。そして、やはり私の通っている学校が好きな人を不快にさせない文章を書くか自信がないです。が、続けます。
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posted by piggy_fsite at 12:59
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