2005年10月31日
 はい、今回も長くなるよ〜。

 今日は自分のダメ自慢をします。これまでの日記では自分のダメさ加減は晒しても、ダメ自慢はしないように一応気をつけていたつもり。何故かと言えば、ダメさアピールが過ぎると、今度はダメであることが最も力を持つようなヒエラルヒーに飲み込まれかねないし、飲み込まれたとしたって自分は頂点にはなれないことが分かっているから。結局、ちょいダメみたいな人を周辺化してヒロイズムに浸るのは、かっこ悪い。それにそんなダメな状況に身を置いているのは自分の選択という認識がないわけではない。自業自得と言われたら返すことばもありゃしない。しかし、今回そんな無様な姿になること覚悟でダメさアピールに走ろうと思う。

 きっかけとなったのは、以下のページに触発されて。

 元ネタになっているのは以下のページです。

 両方とも無断リンクご容赦下さい。申し入れがあればリンク削除します。

 大略すると、澁谷さんの「ゆるい日記」で、現在の女子院生は自分の将来を「ホームレスか犯罪者」と考えてしまうような窮状にあるという話があり、そのような窮状に対して共感というか同意を示しつつも、上記の語りに「ホームレス」や受刑者に対する蔑み(さげすみ)が含まれているのではないか、と指摘したのがkmizusawaさんの「kmizusawaの日記」です。

 私も、選挙に関する日記でホームレスに関して触れているし、実際友だちと澁谷さんが日記でとりあげたような会話をしたことがあるので、自分の中の蔑みの視線に気をつけねばならないなと反省した

 そうなのだけれども、恐らく一部の文系女子院生にとって「ホームレス」という未来予想図は「極端な例」と言えるほどに非現実的なものでもない。

 以前、野宿者の支援活動をしている人と話していて思ったことなのだが、その方々は自分達は直接に野宿者の生活を目の当たりにしているので社会の現実を知っているが、あなた(=私)みたいな学問に携わる人たちは机上で物を考えているから、まるで世の中(とくに底辺のこと)を知らないのよね、という態度で私に接してくる。言わば、研究者や院生などというのは、野宿者の対極にある存在だと思っているらしい。

 実際、研究者やその卵たちが住まうアカデミズムの中に、野宿者や虐待児や危険な労働を強いられる外国人労働者やその他諸々の現状をいとも簡単に"例外"として位置づけ、日本には生命に関わるような貧困問題は"ない"と思っている人々がいることは否定しない。

 それに、そもそも大学や大学院に進学しようなどという発想は、今すぐ親その他を扶養していかなければならない立場にある人々には難しく、院生や研究者がそれなりに裕福な出身であるというのも、想像できる話だ。

 そういう意味で自分が恵まれているのは確かだけれども、例えば、都会で風呂付と言ったらこれ以上下はない3万5千円の家賃の部屋に住み、次の奨学金の振込みまで3日もあるのに冷蔵庫はからっぽ、米一粒もない、それどころかトイレットペーパーすら切れそうな状況で財布には200円しかない状況。それなのに、例えば誰それの慶事だとかで「一人2000円ね」と友だちに笑顔で宣告される状況。それなのに、例えば受けるバイトの面接はことごとく落ちる状況。

 例えばそんな状況のとき、私はいつもと違う目線でコンビニ前をうろついたことがある。はした金のために大罪を犯した犯罪者を笑えたのは、もう昔のことだ。

 こないだは、卒業した院生が研究室にとどまるのは教員にとって精神衛生上良くないんだよね、と冗談交じりにとある教員に言われた。卒業したら大学すら自分を疎んじる。かと言って就職もできない。もちろん、会社員から大学院に来る人もいるし、内定を蹴って来る人もいる。院修了見込みで企業に就職した人もいる。でも、就職活動でどこにも決まらなかった私みたいなのもいる。

 今は奨学金で足りない分をアルバイトで補完しているけど、奨学金を貸与される年限が過ぎた後(つまり数ヶ月後)生活できるくらいのアルバイトが見つかるかな。見つかったとしてそこで何年働けるだろうか。いずれ出勤日数を削られたり、解雇されたりして、日雇い労働に流れ、寄せ場に通い、家賃が払えずに路上に至る…。その間、初めは男性的な価値観によって「自分を養ってくれる配偶者をみつけてなんとかする」という手段に手をつけられないでいるも、そのうち自分の出身階層と現実の階層のギャップから友人関係の範囲が縮小し、本当に異性との出会いがなくなり「結婚」という退路を断たれる。

 こういうことを書いて、どれだけの人がリアルだと思ってくれるのか分からない。しかし、こういうダメ自慢をして何が言いたいのかというと、確かに「将来はホームレスか犯罪者」という文系女子院生の不安の語りには、「ホームレス」や「犯罪者」を蔑む視線をはらんではいるのだが、それは野宿者や受刑者の生活をメルヘンに幻想して、あるいは比喩として語っているのではなくて、本当に自分がそうなることをリアルに想像できるというくらいの場所に文系女子院生の一部がいるってことを分かってもらいたい。

 そして、高学歴でそんなにいうほど貧乏な家庭に育ったわけでもない女がなんでそういう思考回路になっちゃうかと言うと、文系院生が研究している内容なんて「実社会」では何の役にも立たない(ようするに何の商品も生み出さない)と繰り返し聞かされているから。そして、結婚という生活手段(夫に養ってもらうだけでなく、単に共同生活でしのぐという意味でも)に想像力が働かないほどに男化されてしまっているから(これは私だけか?)。

 さらに、院生の中にも実力や財力に広い広い差があって、自分はお金がないのでこれこれができないとか、もう研究者を目指すのは諦めた方がいいのか迷っているなどということを同じ院生に言える状況はほとんどなく、そんな状況がさらに彼女たちの、というか私の視野を狭くしているからだ。ついでに、周囲と自分の経済状況に差があるために自分がお金がないことを言えないというのは、出費が抑えられないということだし、抑えようとするならば見栄を保てないし、見栄を保てないということは院進学によって狭まった対人関係がさらに狭まるってことにつながる(これも私だけか?)。金なし、職なし、友なし。

 私の生活の一部を暴露したところで、「客観的に見ればホームレスには程遠いよ」と言って下さる方もおられるだろうけど、こんだけ視野が狭まっている文系女子院生の中のさらに産業廃棄物(3月16日の日記参照)であるところの私の内部から見れば、自分が今どのへんにいるのか、というのは全く違って見えているということなのだ。

 野宿者とて自分がなりたくてなった者はほとんどいないのだろうから、私だって自分がなりたくなくたってなるかもしれない。なりたくないと思いつつ、そうなりそうな自分に危機をつのらせる。それを傲慢と言われるならば、前向きでないことは全て傲慢ということになりはしないだろうか。

 そんなこと言っても、実際の野宿者や受刑者、その経験者が、私の物言いに傷つけられることには変わりはないのだけれど。だから、自分のことばに慎重にならねば、という初めに感じた思いに変わりはない、です。

 それから、私の「余裕のなさ」にむしろ余裕を感じる、という人もいると思う。「そう思うなら、その解決のために何かしろよorしてるだろ」っていうツッコミ、自分でもしてますから。こういう一文付け足すことが、ダメ人間をアピールすることで逃げに走る私のかっこ悪さなんだ。そしてさらにこの一文も、逃げ…とエンドレス。

 これも言い訳ですが、kmizusawaさんの日記自体に、「私のこと分かってくれない」的な感想を抱いたわけじゃないです。トピックとして身近なテーマを扱っていたので引き合いに出させていただきました。万が一、私の書いたことに共感してくださる奇特な方がおられましても、kmizusawaさんの日記に見当違いのコメントを付けないようにお願いします。



注:一昔前であれば、あるいは今でも一部の女性は、「将来はホームレス」のかわりに「いざとなったら売春婦」と思っていたのではないかと思う。このような発想については、既にウーマンリブにおいて田中美津が、娼婦に対する蔑視が含まれていることとそのような蔑視が男性主義的社会にとって都合のいい女とそうでない女の分断を招くのだというような批判をしているし、そんな批判を耳にしたことがなくても、セックスワーカーに対する差別的まなざしに関する配慮を高学歴の女は身に付けている(ときには単なる教養としてだとしても)為に、もう口に出さないのだと思う。
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2005年10月27日
 10月から木曜日は女神さまのところに通っている。授業を聞いているだけなのだが、エキサイティングというか何と言うか、聞いているだけで感情が高ぶってしまうことがよくある。先週は凄く前向きになれたし、今週は非常に癒される、というように。

 ところでこういう授業や研究会のために国立大学なんぞに足を運ぶと、いつも自分もここの学生に見えるかなーとワクワクしてしまう。周りが賢いと自分も賢く見えるのではないだろうか、という淡い期待。中身ともなってなければなんの意味もないのだけれど。

 たまに不細工な子と美人な子が一緒にいると不細工な子が引き立て役になる云々の話を聞いたり見たりするのだけれど、本当に不細工な人といると美人は引き立つのだろうか。そして、男女の両性の関係が非対称的である限りこのような疑問の立て方が問題の本質を突きえないということは分かった上で思うのだけれども、不細工が美人の引き立て役になると思う人は、男を見るときも隣同士に並んだ男を比較しながら評価するのだろうか?

 私は近視だから、というのもあるのだろうけれども、例えば電車の中で女子高生がかわいく見えるのは、あれはやっぱり群れているからだと思う。男に関してもピンでかっこいい男もいるが、なんとなくおしゃれーな男が複数でいると単品では大したことなくてもかっこいい集団にあったように錯覚するものである。ピンのイケメンと会ったときより遥かに嬉しい。私の視覚においては、ここに並の男がいた場合、その友達がイケてれば二人ともイケているように見えるし、友達が不細工ならば二人ともさえなく見えてくる、ということだ。

 私自身がもしピンで歩いていたとすると、間の抜けた地味系女に過ぎないのだけれども、国立大学内を歩いていると頭よさそうに見えるのではないか、という妄想もそこから出てくる。

 だから、私の周りは美人やオシャレさんが多いのだが、彼女たちと(特に二人きりで)街歩きなんぞをするときは、私なんかと歩いてたらこの人の株が下がってしまうのではないか、と心配する。彼女のよく行くお店なんて連れて行かれそうになると、店の人に彼女がセンス疑われたりしないか、とか内心ヒヤヒヤする。初めから友達と街歩きすると分かっている日ならば、私も女装したり何かと手の打ちようがあるのだけれど。

 本当に不細工に引き立て効果があるならば、ありがたい。これからは安心して美人の友達と街歩きができる。でも、そうすると頭いい人と一緒にいるときの私も、さらにバカさをアピールしているということになるのか。それはいやだな。てか、人の目を気にしすぎだべな。

 …あ!もしかして、不細工と一緒にいると自分もダサいと思われかねないのに、そんなことも気に留めず不細工と友達であるところに"心の美しさ"が強調されて、美人度がアップする、という仕組みなのか?もしかして。そうか、そうか。なるほど。

 でも、やっぱ、もし不細工のダサさに引きずられないくらいのまばゆさがある美人が歩いていたら、そもそも隣の不細工になんて誰も目をとめないから、どっちにしろ引き立て効果はないような気がする…。むしろ、誰にも目をとめられないという意味では、不細工だということも気づかれないから、やっぱり不細工に利があるような。コンパくらいだよね、否応なしに存在が強調されて引き立て効果発揮しちゃうのは。
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2005年10月26日
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 今日は嫌なことがあった。気の滅入ることと腹の立つことが。それで、「ストレス社会で闘うあなたに。」というチョコレートの写真とともに、このブログでいつものようにぶちまけるつもりだったのだけど、夕飯(というかもう夜食だけど)を作っていたら、どうでもよくなってしまった。私は料理嫌いで作るとしても大したものは作れないのだけど、料理することがストレスになったり、作ることにイライラしたりはしない。イライラするくらいなら作らないし食べないからだと思うけど。で、何故か料理をしていると良くも悪くも色んなことが忘れられる、ということに今日気がついた。気持ちの整理がつく、ということではなくて本当に怒りがどっかにいっちゃう感じ。

 今日、私のストレスを解除した料理というのは、料理の範疇に入るのかも怪しい"鍋"。鍋と言っても、動物性タンパクは出汁のカツオ粉末くらいだから、湯豆腐と言ったほうが近いかもしれないが。ちなみに一人鍋ではないです。半分は私が食べて、半分は明日の私が食べるから。…こんなこと平気で言えるひとりもんになっていいんだろうか?

 写真のチョコレートはテリーさんにおススメいただいたものなのだが、もう一つ気になってる新商品がある。きなこもちのチロルチョコというやつ。


 コンビニもスーパーも探したけど見つからない。食べたいよー。

◆◆◆ここから話変わります。◆◆◆


 ホワイトバンドの話。もう、この話題に触れるのは正直躊躇があるのだが、いったん前の日記で触れてしまったから後始末として書きます。

 なんつーか、ホワイトバンドをしている人に「でもそれさ、」というのはやめよう、という呼びかけです。「でもそれさ、募金にはならないんでしょ?」「でもそれさ、別に白い包帯やリボンでもいいんでしょ?」と言いたくなったら、世界の(身近な、でもいい)貧困に抗するために自分とその人で何ができるか、思い浮かべてみよう。何か思い浮かんだら、そのアイディアについてその人と話してみよう。

 貧困に抗する意思表示をするとか、自分の身を省みず危険な地域にボランティアに行くとか、そういうことは凄くまともなことで、一つひとつの行為は思慮が足りないと責めることができるようなものだとしても、そういうまともな行為をカッコ悪い行為だとか愚かな行為だと思わせる社会は、やっぱり歪んでいると思う。自分の利益を守ることは認められるのに、他者のことを慮る(おもんぱかる)ことがダサい社会は、悲しいと思う。

 ホワイトバンドの日本での広められ方には疑問が色々あるけど、それがファッションになってしまったとしても、貧困に抗するという意思を表すことが、ここまでオシャレになったことは意味があると思う。それを「でもそれさ、」で前よりもっとダサいことにしてしまわないようにしよう。
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2005年10月24日
 フェ/ミナ/チを///する掲示板を見ていたら、凄く共感できる記事があった。この掲示板はフェミの立場からすれば、反フェミの掲示板ということになるのだと思うけど、ものの感じ方ってそんなん関係なしで共感できるってことあるんだよねぇ。当たり前だけど。

 スレッド最初の記事ナンバーは36390でジェンダーフリーに違和感を感じる理由について語ったもの。要するに「わくわく○○」とか「ふれあい広場」とかいうひらがな言葉に対するのと同じような気持ち悪さを、「みんなが自分らしく」「だれもが生きやすい社会」というジェンダーフリーのスローガンに感じるってことが書いてある。

 なんか凄く分かる。ようするにペラいんだよっていう感覚。仲良しごっこなんかやってらんねぇよ、みたいな。スレッドでそこから派生してくる部活のしごきがどうの、純潔教育がどうのっていう話に賛同するつもりはないのだけど、私も義務教育時代からこの手のスローガン嫌ってたクチだから。今でこそ週休二日制さまさまだけど、導入当時は「ゆとり教育」なんてキモイとか"児童"が思ってたわけです。

 中1のときは、クラスで担任の先生が「友だちの悪口は言わないこと」なんてルールを本気で作ろうとして、そんなルール守れっこないって学級会で皆を説得した。学級会で発言してるあたりに優等生ちっくな性格があらわれてるけど、見方を変えれば建前と本音の乖離が許せないオコチャマだっただけ。

 そんなオコチャマの私の違和感の一つが「温かな家族」、「かけがえのない家族」、ちょいとアカデミックに言えば「近代家族」ってやつで、その「近代家族」はまさに男女がお互いの意思に基づいてつがい、子どもを人間として尊重する、そういう「家族」を規範化したものなのだから、「男女平等」をウゼエって思った人と、大して離れたとこにいないと思うのだ。

 性も違う、学歴も違う、生まれた地域も違う、世代も違う、違うだけじゃなくてこの違いには格差がある、そういう人間が一つの家族というものを作って同じ釜の飯を食ったからといって、なんで同じことに喜びを感じたり、相手の幸福が自分の幸福を制限することに目をつぶったりできたりするものか。そんなの幻想に決まってる。いや、そういう喜びや幸福の存在は否定しないけど、それを当然とするのは無理。

 だからもう幸せごっこも仲良しごっこもやめて、自分にとっての幸せはこうだと言ったらいいじゃんというのが私のフェミだったりする。無論、そんな私の感覚に、フェミをナチだと言う人が共感するわけないってことはスレッド読むまでもなくわかってるんだけど。

 で、クラスの仲良しごっこや国際関係の仲良しごっこは欺瞞と批判する人々が何故、家族の仲良しごっこを批判できないのかというような物言いをすると、逆に家族の仲良しごっこを批判しようとする私が、何故国際関係の仲良しごっこを切らないのかという反論が自分の中で沸いてくる。それに関して、きっと理論で説明できなきゃダメなんだろうと思いつつ、正直な話、それは人が死ぬから、という直感的なこと。

 戦争したら人が死ぬし、家族の仲良しごっこを規範化して誰も自分の家族以外の家族の内を見ないフリをしたら、DVでこれまた誰かが死ぬから。人の命より大切な共同体の意義なんて信じられないし、共同体のウチの人間とソトの人間の死の違いをイマイチよく分かってないんだ、私は。そういう私の感覚の方が真っ当だ、と言いたいわけでもないし、自分でもヌルイとは思ってる。

 今回は、どっちがどうということではなくて、意外なところに自分と同じ感じ方の人がいたという感動について書いたということで。…逃げ?
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2005年10月23日
 寒い。自宅裸族を終えて、コタツ出しました Zz(_ _*)√ ̄\ しばらくはコタツ虫になります。

 扇風機しまう日とコタツ出す日が同じってのは、どうなんだろう。。。
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2005年10月20日
 しばらく日記更新しません、とか予告しておきながら書いてる自分がちょっと恥ずかしいんだけど、まあいっか。

男脳女脳診断のサイトなんつうもんがありました。こういう何たら診断って楽しいよね♪

 でも導入で男と女では脳の構造が違います、とか言っておきながらほとんどの男女が中性ゾーンに固まっていることに何の疑問も持たないんだろうか?男と女で脳が違うとか思ってる人って。女より女脳の男のサンプルが例外というには多すぎるほどあっても、やっぱりそれは構造の問題で生来的なものだと本気で考えているんだろうか?

 おバカな私には到底理解できない奥深い「科学」ですなぁ…。

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2005年10月19日
 どうでもいいことだが、占いとかでよく見る「仕事運」って学生にとっては何運なんだろう?

 赤ちゃんは泣くのが仕事、学生は勉強が仕事というならば、「仕事運」は「学業運」なのかしら。ちなみに私は、学業の他、本屋のバイト、学校の授業補助のバイト、他の学校で調査の手伝いのバイト(臨時)で今3つバイトをかけもちしている状態。仮に「仕事運」を「バイト運」と読み替えたとしてもどのバイトの運勢なんだろうなー。「迅速な行動が周囲の評価を高めます」ってどれを優先しろってことだ?学生や掛け持ちフリーターには悩ましいよな、占い診断って。

 被害妄想的に言わせてもらうと、学生なんて働いてなくてもニート呼ばわりされないし、学割とか言って色々優遇されて大層なご身分と思われているけれど(ま、実際そうなんだけど)、結局は社会にとっちゃオマケみたいなものなのよねー、なんて学生用クレジットカードなんつーものが存在する現代においても思ったりしちゃう。所詮、モラトリアム。

 てゆうか、学生で学業運なんて気にするのは受験生だけってことなのか。


 予告ですが、11月の2週目くらいまで日記の更新お休みすると思います。忙しくなりそうなので。
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 今朝起きたらふくらはぎが凄い筋肉痛…。昨日はたいした運動はしていない。日曜日にsayoさん、テリーさん、「妖精」さんとで歩き回ったアレかな。二日後に出るってどうよ。

 写真はsayoさんの作品。県民会館で展示会があって見にってきました。凄い力作揃いでなかなか面白かった。全体的に出品者の年齢層が高く、渋めの作品が多い。sayoさんの作品が凄くモダンに見えた。sayoさんの作品は和風なグラスアートなのだけど、なんとなく温かくてかわいらしいところが好き。

 この展示会、何故か男性は出品不可。男性の作品が入ると評価にジェンダーバイアスがかかるのでしょうか?手芸好きのおじちゃん可愛そうだなあ。
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2005年10月18日
 先週の金曜日に髪を切った。美容院には大体年に1回か2回しか行かないのだけど、スタッフの人が感じいいから、いつも同じところに行く。

 今回はボブにして下さい、と言ったら鬼太郎になった。まあ前が砂かけ婆みたいなもんだったから妖怪には変わりないんだけどさ。

 そこの美容師さんが黄色いホワイトバンドみたいなのをしていたから、それなんですか、と聞いてみたら、貧困ではなくガン撲滅のためのバンドらしい。公式サイトと思しきサイトはこちら。美容師さんいわく黄色の方が先なんだって。後からネットで調べてみたら、赤、青、水色、ピンク、紫と色々な主旨のものがあるみたいです。

 うちにはTVがないので、ホワイトバンドに関してどれぐらいキャンペーンが行われているのかよく知らないのだが、フェリシモで取り扱いし始めたのを知っていよいよヤバイなと思い始めた。別にフェリシモがホワイトバンドを扱うことに関しては、もともと社会貢献活動に関心のあるような企業だったから何の不思議もない。しかし、今のところ入手の困難さでレア感の漂うホワイトバンドも、こうやって通販なんかで手軽に手に入るようになったらブームも下火になるような予感がする。

 ブームが下火になってもいいんだけど、ホワイトバンドのキャンペーンが一つのデザインの商品として広まってしまった以上、ブームが終わると逆に付けているのがカッコ悪いなんてことになってしまうんじゃないかとかそういう余計な心配をしてしまうのである。これが白いバンドならば何でもいい、という本来の形で広まったなら、ブームが過ぎたって分かる人には分かるものとして身に着けていられただろうに。

 貧困は終わらないのにブームは終わる。それともホワイトバンドはブームに終わらない何かになるのかな。
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2005年10月14日
 最近の自分の日記を読み返していたら、なんか文句言いーなことばっか書いているなあとちょっと反省。ユーモアがあればいいと思うんだけどね。それが私には足りないのよねえ。

 まあ、そんなわけで自分の習性について少し。私は歯磨きが好きです。四六時中磨いているってこともないけど磨き始めると長い。今日もDVDも見ながら磨いていたら1時間半くらい磨きっぱなし。朝起きて歯を磨いていたら昼になっている時もある。だいたい2から3種類くらい形の違う歯ブラシを使って磨きます。ひたすらボーっと磨きます。

 そんな歯磨き中に考えたこと。ふと胸を掻いていたら何かが当たる。ん?もしやシコリ?と思って自分で自分のおっぱいを揉みまくる。左右比べながら揉みまくっていたら、何がシコリで何があるべき塊なのか分からないけど、とにかく左右で違いがないから乳がんではないだろう。

 でもさ、よくドラマなんかで自分の胸を触ってシコリに気づくシーンとかあるけど、普段から自分の胸触っている人じゃないと普通分からないんじゃないかなー。私は少なくとも自分の胸の感触とか覚えてないぞ。それとも、素人でもハッと気づくくらいの違和感あるものなんだろうか、シコリって。

 あ、歯磨きに全然関係ないですね。でもこんなこと考えられるくらい、ずーとぼーと歯を磨いています。
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 写真分かりにくいですが、雲がトンネルのようになっていて向こう側に月が見えています。この月を目指して空をとんでいったら、魔法の国に行けそうだよね、と友だちに言ったら、からかわれてしまった。

 ロマンチックな発想というよりも、姫ちゃんのリボンとか魔女系アニメの見過ぎなだけと思うんだけど。てか、現実逃避したいだけかも。でも、本当に"向こう側"に続く雲のトンネルをくぐってみたい。
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2005年10月12日
 他のブログで話題となっていたので知ったニュース。杉村太蔵という議員さんが失言を繰り返して謝罪の記者会見を行ったとか。

 正直、杉村議員のこれまでの「失言」が、正直で面白いと言う人にも頷けるし、議員としての器量に劣るという人にも頷けちゃう私なのだが、むしろ私は会見のことばの方が失言に思える。日刊スポーツによれば、

最初に出たのは「この数日、当選後の自分の言動をじっくり考えた。議員としての自覚もないまま、幼稚で無責任な発言をしてしまった。今では大変反省しています。有権者、自民党に投票してくれた皆さま、本当に申し訳ありませんでした」との謝罪の言葉。


とのことで、この謝罪に対して記者は「優等生発言」とコメントしているし、実際他の先輩議員から指導されての発言だったみたいだけど、どうも私は「有権者、自民党に投票してくれた皆さま」という件(くだり)が気になってしょうがない。

 いやね、公約が守れなかったとかだったら自分を支持してくれた人に謝罪ってのは分かるんですけど、彼の場合今回の謝罪は「失言」が国会議員としてふさわしくないと言う主旨でしょ。だったら謝罪の相手は国民であるべきだし、特に国会議員の給料や待遇についての「失言」が問題にされていることを考慮すれば、国民以外の納税者にも謝罪があっていいんじゃないかと思う。

 彼の「失言」が謝罪すべきものかどうかは私は分からないけど、謝罪するとしたら相手が違うんではと思う。結局、気になる大衆は有権者、自分を国会議員にしてくれた党の支持者だけなのねー、という当たりに、国会議員の本性を見た感じ。これは、杉村太蔵の失言というよりも、彼にこの発言を許した自民党先輩議員の失言でもあるわけだけど。

 若者ことばで話すとかそんなことより、発言の内容に失言、暴言ってあるんじゃないかな。
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 市長選挙が近づいている。とある女性候補の名前をネットで検索したら同姓同名のポルノ女優のサイトが一番に出てきて、マジでこの人が候補者だと勘違いしてしまった。彼女は、コンドームの付け方とかボランティア活動もしている人で、こんな人が選挙に出るなら絶対応援しちゃう!!と思ったが、残念。

 さすがに元ポルノ女優が共産党推薦ってことはないだろうと思って、よくよく調べてみたら別人でした。候補者の女性も四コマ漫画とかサイトに載ってて、なかなか楽しい人のよう。市政についてはよくわからんが。
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2005年10月10日
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 今回の旅の一番の目的は、この境港、妖怪ロードに来ることにありました!ビバ妖怪!米子に住む"妹"に案内してもらいましたが、連休ということを鑑みても大変な混雑でありました。多分映画「妖怪大戦争」の影響では、と思う。

 妖怪ロードに並ぶ数々の妖怪像には観光客が群がって写真をとり、容易には近づけない。有名ではないものとか小物は比較的近づき易かったので、写真はそのうちの一つです。名前はチェックし忘れましたが、ちっちゃい妖怪が壁(崖?)を必死で登っています。てか、落ちそう。

 いいなー。妖怪像があるだけで、この街に住みたくなるよ。そりゃ都会者には想像もつかない不便さとかあるんだと思うけど。私の住む街にもなんか芸術っぽい石像というか銅像というかあるんですけど、もーそれが意味もなく裸の女がありえないポーズとってる像とかなんだよね。庶民には全然理解できません。これなら抽象的なモダンアートとかハードコアアートとかの方がまだマシじゃないだろうか。

 自転車でたまに通る道には裸の青年がラッパ吹いてる像があるんですが、「妖精」は見るたびに「意味分からん」を連発してます。なんでラッパ(トランペット?)吹くのに裸である必要があるんですかね。

 しかし、この裸の青年のアイテムがラッパではなくメガネに靴下とかだったら、結構マニアな女子が萌えてしまったりすると思うんですよ。だからラッパは裸がエロにならない為の脱エロ剤みたいなもんじゃないかなと思う。きっとエロくない裸の像を作ることが芸術家の使命なんだわ。それともエロいのつくりたいけど街に立てるから脱エロ剤をつけているのだろうか?

 とにかく、私の住む街に並ぶこの手の像には裸の女が多く、裸族の私ですら絶対裸でそんなポーズはあり得ないよと思っちゃう像が並んでいるのだ。そんなに裸にこだわる理由はなんなんだ。もしかして、〆切守れなくて服作る暇がなかったとか?

 不快ってほどでもないけど、無くてもいいって意味で言えば往来の邪魔。これが妖怪だったらなー。用がなくても街を歩き回るのに。妖怪じゃなくても船の模型とかさ、そういうのだったらマニアな観光客呼べると思うんだよね。

(追記)これよりかは旅先と関係のありそげな旅行メモを別にアップしました(2005/10/12)↓
http://www.kcc.zaq.ne.jp/piggy_fsite/tabi/
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2005年10月09日
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 今日は昨日と打って変わって快晴。空はきれいな青なのに、宿の前にそそりたつ岩肌の先に朝靄がかかっているのはなんとも幻想的でした。宿は立久恵峡の御所覧場。貸切風呂が二つもあって両方露天。男女別の風呂も露天と内風呂両方あって風呂好きにはたまらん宿ではないでしょうか。

 携帯の電波もあやうい出雲の山奥から出て、今日は松江へ向かっています。途中、玉造温泉で下車、まが玉伝承館に寄る。

 まが玉って、韓国の国旗の真ん中にある、陰陽のアレを形どったものと思っていたけど、昔のまが玉はどちらかというと動物の牙や角、胎児の形に似ていた。
写真は、購入したターコイスのストラップ。表面に見える模様がきれいです。
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2005年10月08日
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 写真は、出雲駅近くのお土産売り場のトイレ表示。私はどこに行ってもトイレを見るのが好きだ。特に飲食店だと単に小ぎれいかどうかではなくて、どれほどこだわりがあるかがポイントになったりする。(ちなみに一番お気に入りのトイレはビルの高層階にあって一面ガラス張りだった某国際会館のトイレ。)トイレの内装ももちろんだが、男女別のトイレの場合、その表示のされ方を見るのも、また楽しい。

 多く見かけるのは、マッチみたいな普通の人間のかたちが男側で、それにスカートをはかせた形が女側というもの。正直あんまり好きではないですが、一般的なので悪印象というほどでもありません。

 今回写真に収めたのは、スカートというジェンダー(ここでは文化的性差の意)ではなく、身体の丸みという身体的性差により近い形で男女の違いを表している。丸みという意外では女側の形を小さくしたりということもなく(むしろ丸みの分女側の方が大きく見えるかも)、なかなか面白い。まあ、私と「妖精」で比べれば男の「妖精」の方が遥かに丸みがありますので、これも厳密に言うとジェンダーでしょうな。

 もう一つ、写真に撮り忘れたのだけど旅行中に入った和風居酒屋で、丸い頭に長方形の身体という男女ほぼ同じ形だが、上半身に着物の合わせ目を表す斜めの線が入っており、それで男女の区別を表すというもの。ほっほー、こんな表し方があったのか、と関心したけど、よく考えたら日本の着物は男女とも衿の合わせ方は一緒なんだよね。多分、向き合わせた壁に男女それぞれの絵があったので、衿の方向が逆になっていると私が勘違いしたのだろうと思う。

 でももし衿の方向で男女を区別するトイレ表示があれば、それは凄く面白いなーと思った。だってそれは極々文化的でありながら対称的な性の区別の表し方になるから。よく見かける人間みたいな形が男でスカート姿が女というのも、男の形がズボン姿と思えば文化的で対称的と言えなくもないが、どうもmanということばが男と同時に人間を意味するというのと同じように、人間の姿に装飾(スカート、wo-)をつけて女を表しているようで、好きになれないのだ。

 ところでトイレの表示で男女を区別するのに重要な役割を果たしているのは、青と赤という色だろう。最近私の周囲では見ていないが、障害者用トイレに緑色を使っているところがあったりもした。男女それぞれに障害者用トイレをつくる余裕がなくて男女兼用だから青でも赤でもない色をと思ったのかもしれないけれど、とりわけ重度の障害者は性的な存在であることを忘れられる現状があったから、緑色のマークが障害者を男でも女でもない者として表しているようで私の周囲では批判されていた。

 ジェンダーフリーがジェンダーレスを目指しているのだ、とか批判する政治家さんは、まず入所障害者の結婚生活支援とかそこらへんから手を付けられたらどうかと思う。むしろ制度によって女として男として生きることを剥奪されている人だっているんですよん。これは間違ってもジェンダーフリーの思想のもとになされていることではありません。
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2005年10月07日
image/piggyf-p-2005-10-07T23:48:29-1.jpg今、夜行バスに乗って出雲へ向かう途中。

 バスに飛び乗る前に、バイト先に研修で来ていた女性が占いができるというのを聞きつけて無料で占ってもらった。占い師に占ってもらうのは、ここに引っ越してくる前に一度、今回で二度目だ。

 色々言ってもらったけど細木数子に人気があるのも分かる気がした。やっぱり彼女は当たっていようといまいと、はっきりと未来を宣言するから人気があるのだと思う。私を占ってくれた人は、今のことや私の性格は言い当ててくれたけど将来についてはあまりハッキリ言ってくれなかった。

 いや結婚については具体的に言ってくれたかな。でもそれは私にとってはどうでもいい部分で、私は来年どうなってるか、つまり仕事はどうなるのかが知りたかったのだ。

 「今迷っている中で一番納得できるものに迷わず進みなさい。」てゆうか、何を選べば納得できるのかを悩んでいるんですけど…。私はもう誰でもない誰かに自分の人生を決めて欲しくて彼女に頼ったのだが、そう甘くはないみたい。え?本当にフェミニストかって?ええ、自称フェミニストですよ。

 ようするに私の運勢を大略すると、特に言及するほどの幸運も災難もないのだから自分の思ったように生きたらいいのよ、ということなんだろう。

 こうやって頼ってみると占いとフェミニズムは似てる。今まで気づいていなかった自分の一側面を言い当てられたり、なんでこうなっちゃうのよ的な自分の状況を鮮やかに解説してみせる。だけど、じゃあこれから何をすればいいのかとか、どう生きたらいいのかとか、そんなことには答えてくれないんだ。え?本当に私はフェミニストかって?ええ、自称…以下略。

 こんな私の隣で「妖精」は『命題コレクション 哲学』を開いている。ちっ、インテリぶりやがって…と思ったら、あれ、もう寝てる…。こっちの方が、らしいけどね。
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2005年10月06日
他者に誠実であろうとすると自分に誠実であれない。自分に誠実であろうとすると他者に誠実であれない。
 

 フェミ・バッシングについて言及しているフェミ系の人がたまに「自民党のオジサン」とか言うのが、なんか気になる。「オジサン」も「オバサン」も中年男性、中年女性の言い換えに過ぎないのではなくて、あらゆる肩書きをひっぺがす効果があるように思う。"若くない"ということによってどのような意味づけをされるのかは男女によって差があるから、「オジサン」ということばのもつ暴力性が「オバサン」と同等だと言うつもりはない。

 だけど、「八百屋のおじさん」と言うのと「自民党のオジサン」というのには何がしかの違いがある。「自民党のオジサン」というのは、名前が分からない中年男性をさすわけでもなく、自民党に属する一(いち)中年男性という意味にもとどまらない、なんだか自民党に属する男性議員を全く同じ特性を持った人物像に押し込めて、かつその特性がとるに足らないものであるかのように軽蔑することばであるように思う。そう、ちょうど「フェミのオバサン」と言われるときと同じように。

 「オジサン」「オバサン」ということばには、そんな風に他者をのっぺらぼうにして既存の権威を剥奪してしまう効果がある。だから、私をオバサン呼ばわりする学校の先生にカチンときつつも、目上の先生に対して私は「なんだい、オジサン」と言い返したりはできなかったりするわけだ。単に私と先生の間に権力関係があるというだけでなく、オバサン、オジサン呼ばわりされることによって失う権威の大きさが、失うものが少ない学生の私と偉い(ことになっている)先生とでは違うから。

 若さに関する性の非対称性はもちろんのこと、この"のっぺらぼう効果"があるからこそ、フェミニストは通常女性のことを「オバサン」と言ったりしない(と思う)。もちろん自分のことはオバサンと自称することはあるし、色恋の駆け引きとかそんなものから離れられる解放感みたいなものを「オバサン」ということばに込める場合だってある。それでも、他者を「オバサン」と呼ぶことについては、かなりの女性が神経質になっていることだと思う。

 にもかかわらず、男を「オジサン」呼ばわりするのにはどうしてこんなに抵抗がないんだろう。私も実際このブログで何回か使った気がする。まあ"中年男性"とか書くと文が堅苦しくなるから単なる言い換えとして使っている部分もあるが、正直私の中には団塊世代の男の典型的なイメージみたいなものがあって、そのイメージに合致するものは年若くても「オジサン」だし、合ってなければ「オジサン」じゃないみたいな、そういうステレオタイプに基づいた使い方をしていることも否めない。

 だから人のことをとやかく言える立場じゃないのは分かっている。冷静で客観的であるつもりになって自分の主観を堂々と押し付けてくる男を、その高みからどうやって同じ地べたに引きずり下ろして対等に議論するか、を考えたら「オジサン」呼ばわりくらいしてショックを与えないとダメなのかもしれない、とも思う。

それでもフェミが仮想敵として「自民党のオジサン」というのはなんだかひっかかる。忌々しい奴等を「オジサン」と呼ぶのは気持ちいいし、まあ実際内容的には「オジサン」以上の何者でもない男がいると言われたら、言い返せないけど、「自民党のオジサン」と言ったとたんに、相手がのっぺらぼうになって問題にしなければならないことが非常に単純化されてしまう気がする。
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posted by piggy_fsite at 19:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
 という言い方は差別的なのかな?

 まあそんな人と駅のホームで遭遇した。目が見えない人がこちらに向かって来た時、よけるべきなのか迷うことがある。道ならともかく駅で会うと、相手も人がいることを確認しながら歩きたいんじゃないかとか、人がいるかいないかで列を確認したいんじゃないか、とか思うからだ。

 そんなわけで今回はよけないでみた。そして彼は私の隣に並んだ。でも電車が来てみたらドア位置を音で確認しているようだったし、車内で彼が自分のベストポジションを探していると他の人は場所を空けていたから、まあ私の考えは余計なお世話だったのかもしれない。

 しかし地元でよく見かけた白杖の人は、半径1.5mくらいの扇を杖先で描きながら歩いていたから、多分人ごみを杖で確認しながら歩いていたんだと思う。今日出会った人は、杖先では足元だけを確認しながらゆっくり歩いていたから、周囲がよけることを前提に歩いていたのだろうと思う。

 当たり前のことだけど、同じようなディスアビリティーを持っていても、人によって性格も違えば行動パタンも違う。だから自分がどうすればいいかは白杖ではなくて相手を見て考えれば分かることだよな、と思った。
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posted by piggy_fsite at 13:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
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