2007年02月08日
 私は学生から派遣社員になって、世間でゆうところの「社会に出る/出た」ってやつに、前より近づいたはずなのに、最近、自分の世界が凄く狭くなっているのを感じる。世界ってゆうか、人間関係。このブログも更新できていないし、他のSNSもそう。メッセンジャーも前は、毎日ログインしていたのに、今は全然だ。日常的に連絡の取り合う友だちは2人くらいで、それ以外は滅多なことがない限り、自分からは連絡できないし、来ても必要最低限の返事すら億劫になって、迷惑をかけたりしていると思う。毎日、仕事に出かけているのに、外の世界と遮断されているっていう感じがするのだ。

 話は少しずれるけれども、ハタチくらいのとき、彼氏にふられたとか、片思いで失恋したとか、何か理由は忘れたけれども、ある友人が塞ぎこんでいて、それをその子の友だち(女)が凄く心配していたのに、ある日、落ち込んでいたはずの子(女)が好きだった男とは別の男ともだちと楽しそうに話しているのを見て、凄いショックを受けて怒っていたことがあった。私は、正直、怒っていた方の友人の気持ちが分からなかったけど、親身になってくれる女友だちよりも男友だちに慰め(別にHのことではない)を求めた子の気持ちもあんまり理解できなかった。

 (例のごとく、私の感覚を全ての男女に適用しようとは思っていないことを断っておくけれど、)今思うにして、男との関係とはヌルイものだと思う。性関係だろうが対関係だろうが、異性として(のみ)の男は、自分を理解できないし、しなくても受け入れてくれる可能性のある存在なんだと思う。場合によっては、理解しようともしない態度とか、何にも説明していないのに「分かるよ」と答える安っぽさが、自分と向き合うことができない状態のときには、必要となることがあるんじゃないか。

 だから男と言っても、自分を見定めようとしている先生とかからは逃げたくなるし、女でも職場で自分(私)のことを「仕事をする人」としか扱わない人とは普通に話せたりする。

 だけど女友だちは違う。よっぽどダメなところまでシンクロしまくってる友だち(それが私には2人なんだろう)なら別だけど、同性の友人の存在は、もっとリアルで、もっとも自分自身を映しだす鏡のような存在だと思う。目が合うだけで、きっと自分の愚かさと汚さと甘さを見抜かれてしまう気がする。見抜かれなかったら見抜かれなかったで、彼女を騙した罪悪感に苛まれる気がする。取り繕った自分が余計惨めになる気がする。自分のこの汚らわしさを、あの輝かんばかりの彼女に見抜かれてしまうなら、いっそ見捨てられた方がマシなんじゃないかと思ったりする。あ、いやこの表現はちょっとやおいっぽいかな。

 でも、そろそろ自分の甘さという流れに流されるのやめないとなって思ってる。
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posted by piggy_fsite at 06:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
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