2007年04月24日
うむ、やはり風邪ひいたみたいだ。

金曜からくしゃみが出ていたのだが、くしゃみ風邪というのはあんまり経験したことがなかったので、部屋が汚過ぎて埃が舞っているせいだろうと思っていた。今日、仕事中もくしゃみが止まらないので、帰りに鼻炎用の薬を買ってきたのだが、家に常備してある風邪薬とどちらを飲むか迷う。薬を買うためにスーパーに寄ったら、雨が降り出して濡れてしまい、なんとなく風邪っぽい気になってきたのだ。悪寒もするし、なんとなく頭もダルい。

とりあえず熱を計ってみている。風呂に入ってしまってから計ってもいいものだろうか?食事してしばらく経ったからいいのかな?

こういうことを考えること自体が面倒だ。

こんなとき、気のよくつく優しいカレシなどが、「大丈夫〜?」などと言って、お粥を作ってくれたり、かいがいしく薬を飲ませてくれたり、ついでにこの汚い部屋の掃除とか洗濯とかしてくれて、寝つくまで手をつないでくれたら、漫画みたいで楽しいのに。きっと一発で治るのにな〜と思って体温計を見たら、平熱以下だ。

なんだか、しゃくだから風邪薬を飲んでやれ。
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思い出話。

私が高校生だったころ、「ちょべりば」などと並び、コギャル用語として「MK5(えむけーふぁいぶ)」というのが、あった。実際周囲のコギャルが使っているのは見たことがなかったが、「えむけーふぁいぶ」と口にしたときの長ったらしさを考えると、もしかしたら「MK5」は口語ではなく文語あるいはポケベル語だったのかもしれない。

当時の私ときたら、ポケベルをベルトにつけた、今で言うところのギャル男くんに「万歩計?」とか聞いて、どん引きさせるような地味系女子だったのけれども、一秒間に何文字打てるかと必死になって公衆電話のボタンを連打していた同級生達のことは覚えている。

コギャルではない私も、TVなどのメディアを通じて、コギャルと言われる女の子たちが使っている用語というのを耳にする機会はあって、それをギャグで使って遊ぶという程度のことはしていた。ところが、その中でも「MK5」というのは、なんとなくイマイチな単語だと当時の私は思っていた。それは先述の通り口にしたときの感じが長ったらしく勢いがないというのと、「マジでキレそう5秒前」の略をアルファベットで表すというところに、あまり斬新さを感じなかったからだと思う。ただのアルファベットと数字の組み合わせが、「マジでキレそう5秒前」の略だということには「なるほど〜!」と感心した覚えはあるが、どちらかと言えば略す前の「マジでキレそう5秒前」というフレーズの方が、リズム感もあって気持ちいい。

「ムカつく」・「ウザい」などの、攻撃的なことばが若者のことばとして周知される一方で、そういうことばを簡単に使う心ない行為に対して自重する雰囲気が一部の同級生たちの間にあったことも、冗談にしても使ってみたいと思えなかった理由の一つかもしれない。たとえ、それが自分の気持ちを言い当てたことばだとしても。

とはいえ、今、歳月を経て、このように自分の気持ちをズバッと言い当て、かつ誰にでもわかることばを作ってみようと思うと、これはかなり難しいということに気づく。自分の今の状況を表すことばをいくつか挙げてみよう。

KS1:風邪引く寸前、1日前。
CDN:超ダルい、寝ちゃいそう。
IK10:今、金欠。10円しかない。

…やはり、「マジでキレそう5秒前」を考えついた人は凄い。
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2007年04月18日
世の中で大変なことが起こっていてもテレビや新聞を読まずにいると気づかないことが多い。オリンピックは、一度も見ることがなく閉幕してしまっても何の罪悪感もないけれど、政治ネタや人の生き死にに関わることだと何故か知らないでいたことに申し訳なさを感じる。ニュースにならない多くの死は、どうあがいても知ることができないくせに。

ショッキングな殺人事件の犯人がどこの国籍の者と報道されたかで、誤報だったことを人種差別だととある国が訴えたとか何とかというニュースも出ていた。間違って報道された国は、犯罪と言えばウチと思い込みやがって、という気持ちがあるのかもしれないけれど、報道されることで迫害受ける人のこととか本当に考えているんだろうか。犯人が中国人だろうと日本人だろうと韓国人だろうと、石を投げるやつらに識別できるわけはなし、「ほらみたことか、うちの国じゃなかったろうが」と母国が強気な発言したところで、現地の人間が救われるのか。銃をぶっぱなしたり、石を投げるやつが一番悪いのは言うまでもないけど。

てゆうか、○○人って報道すること自体が偏見にまみれている気がする。犯人逮捕を目的として特徴づけるために人種やら国籍やらを明らかにするならともかく。アジア系だから何?人種の坩堝のお国で小学2年生から住んでる人間を、問題起きたときだけよそ者扱いかよ。

とにかく、銃社会は反対。銃だけが原因じゃないだろうけど、反対。人の死は数の問題じゃないけどさ、でも、あっというまに30人も殺せる武器が簡単に手に入る社会なんて、やっぱおかしい。
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2007年04月15日
安普請:安い費用で、また粗末な材料で家屋を建てること。また、その家。
三省堂提供「大辞林 第二版」より


私は関東の出身なので(?)地震には慣れているほうだと思うのだが、今の部屋に住むようになってから、どう考えても気象庁が発表している震度よりもプラス1くらいの震度を体感している気がする。電車や大風でも揺れるくらいだからしょうがないのか、この建物は。命があるうちに引越しせねばなぁ。

ちなみに、関東は地震は多いが台風はそんなに多くなかったので、本州の南端の方に住んだときは、台風が結構怖かった。今の関西も雷とか酷いし、身の危険を感じなくてもなんとなく怖い。

犬とか小動物が雷を怖れてワタワタしているのを見ると、これは本能的な恐怖なのだなぁと思うけれども、慣れていることはそれほど怖くなかったり、小さい頃はそれほど怖くなかったものが大人になってから怖くなったりすると、経験が左右するものだなとも思う。

だから、私がいくつになって「怖い」と言っても、「カマトトぶってんじゃね」とは言わないでネ。
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2007年04月10日
気がついたらあった新機能 googleのDocs & Spreadsheet BETAを利用してブログを投稿してみる。
パッと見た感じの特徴は以下の通り。

・PCにソフトをインストールしなくても利用できる(これだけでは文書作成ソフトや表計算ソフトが入れてないPCなんてそうそうないだろうから意味がないと思う。)
・オンラインで複数のユーザーが同時にファイルにアクセスして編集が可能である。
・ファイルの変更履歴が残る。また、差分を確認できる。
・PDF形式のエクスポートが可能である。(PDFファイルのアップロード・編集はできない。)
・別途サーバーを用意しなくても、簡単にファイルのWeb公開ができる。また公開する範囲を制限できる。

・DocsにしろSpreadsheetにしろ、単純に従来の機能を比べるならばやはりwordやexcelには劣る。なれてない所為もあるが使い勝手が悪い感じ。描画ツールはない。文書設定は最低限で、余白とか行数・文字数の設定ができるわけではないので、印刷は一度ファイルをPCにダウンロードして既存のソフトで印刷イメージを確認してから行いたい。
・印刷よりもやはりweb公開・共有のためのソフトという感じなので、使い方に関してはbologやhtmlで文書を作成するイメージに近い。
・blog投稿に利用すれば、過去の投稿のバックアップとして利用できる。エクスポート機能のないweblogサービスから別のサービスへ移行するときには便利かもしれない。


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2007年04月09日
 ■昨日は選挙でした。当選より落ちる割合の方が少ない選挙では、私も外さないみたい☆

 ■こないだ、友人とご飯を食べに行ったときの話。長文です…。一人は正社員、一人は契約社員、一人は派遣社員(私)。正社員の子の最近の仕事状況を聞いていたらたまげた。

 その子の最近の仕事ときたら、終電がなくなるまで職場で働いて夜中の3時にタクシーで帰宅したり、もしくは仕事を持ち帰って徹夜したり、土日休日出勤したり、その挙句残業手当はつかず、時給に換算したら500円にしかならなくて泣けてきたという話。私は今までこういう話を聞いたことがなかったわけではないが、どこかで「仕事のやりくりが上手ではないからそんなに残業するはめになるのではないか」という疑いを捨て切れなかった。私自身、残業して私の担当している仕事の内容を全く知らない同僚からもっと手際よくやるようにと注意されたことがあったが、その時も腹立たしさ半分、やはりもっと手際よくこなす方法があるのではと自分を責めたりもした。

 だけど今回この話をしてくれた友人は、私の知り合いの中でもかなり優秀な人だし、とりわけもののさばき方というか処理速度にかけてはズバ抜けた人だったから、ショックだった。というか、仮に同じ仕事をもっと早くこなせる人がいる(あるいは方法がある)のだとしても、だからといって残業が係る個人の責任と言えるわけではない、という今さらなことに気づいた。慣れていない仕事で手際が分からないのは当然だし、全ての組織構成員(社員)が全ての仕事について適切な処理を迅速に行えることは理想ではあるが、それを前提にするのは間違っている。現在のマンパワーのキャパシティを超えた仕事量をこなさないと潰れてしまう組織ならば、そのマンパワーの底上げ(人を増やすという形であれ、初めから優秀な人を雇うという形であれ、教育という形であれ)は組織全体の責任のはずだ。まぁ、世の中どうにもならない人材というのもいるのだろうけど。

 話はちょっとズレた。言いたかったのは、そんな優秀な彼女さえ残業しなければならないというのが世の現実なのか、とすれば私の今の状況のなんと生ぬるいことよ、と聞いていた私が思ってしまったこと。

 どちらかと言えばタフな部類に入る彼女が身体的にも精神的にも追い詰められる程の仕事量をこなさなければならない今の状況を受け入れていく過程は、もちろんそんな仕事したことのない私が全容を知る由もないことだけど、それが「フツーなんだ」と思うことで乗り切れている部分もあるんだろうなと思う。私だけじゃない、みんなそうだ、一般企業で働くってそういうことだ、理想はなんであれそれが普通なんだ、そう思うことが超人間的な労働状況を受け入れることには必要になっているように思う。彼女の語り方は、自分の不遇さを嘆くわけでもなく、まさにそれを普通のことと受け止めようとする淡々とした口調だった。

 それが本当に「普通」なのかどうかはさておき、そう思い込むことが女にとってより困難であることは言うまでもない。「きちんとした仕事」についていなくても責められることのない人生を送っている「女ども」を見ても、男は「女だから許されるのさ」と自分と区別して割り切ることができてしまうけど、一方、女には「自分にももっと違う生き方・働き方があるのでは」という迷いが“許容”されているからだ。自分をいや応なく相対化せざるをえない立場は苦境を乗り切るには脆すぎる地盤だと思う。

 さらに不幸なことに彼女は、負わされる責任という意味ではぬくぬくとした労働環境の中にいる私のような友人を「甘ったれ」と軽蔑するには、聡明すぎるということだ。もしも、彼女が私に「あんたはいいよね」と言えるだけの盲目さがあれば、少しはラクなんじゃないかと思う。自分の現実を受け入れるために「こんなの普通」と思う一方で、その「普通」に当てはまらない生き方を歩む人もまた各々の「普通」を生きていることを認めるということは、そうそうできることじゃないと思う。少なくとも私はできてない。

 世の中には、我こそが一番不幸だというようなドラマに浸ることで自分を慰める部類の人もいる(私とかそんな感じだ)けれど、「誰にも分からない私の不幸」という自分自身への憐憫に浸るのは、理想の状態へ自分が到達できていないことへの言い訳にすぎない。もしも本当に自分の今かかえているしんどさとか苦しみとかそういうものが自分だけにしかわからないのだとしたら人間はそれに耐えることは到底できないと思う。だから、(この労働の話を離れても)しんどい立場にある人ほど、彼女/彼ら自身にとって、「私だけじゃない」とか自分は「普通」であると信じることが、自身の尊厳にかかわる非常に重要な過程になってくるだろうと思う。

 だが、しかし。そうだとしても、私(という立場)は、彼女の置かれているような状況を普通と認めることは、断固「してはいけない」。辛い仕事の話を聞けば、「私のしんどさなんてまだまだだなー」と引け目を感じるし、自分が甘いのも事実だ。

 けれども、たとえ嬉々として残業するような輩がどれだけいようとも、そうしなければ組織がなりたたないのだとしても、それでも一日18時間もの労働を強いられ、その対価が正当に支払われない状況を「普通」と“私が”認めてはいけない。それに対する怒りを“私が”忘れてはいけない。現にしんどい思いをしている者に、「そんな残業はするな」とか「手当てを要求しろ」とか「仕事辞めてしまえば」とかそんなことを言っても意味がないのは分かっているけれど(できるもんならしてるだろうから)、現実を健気に受け入れる者たちの労働によって、甘い汁を吸っているやつらが別にいるということを“私が”忘れてはいけない。甘い汁を吸っているのは、「専業主婦」でも「公務員」でも、もちろん派遣社員やフリーターでもないということを“私が”忘れてはいけない。何かを手に入れる為に別の何かを犠牲にするのが世の摂理だとしても、それが本当に対価に等しい犠牲なのか疑問を差し挟んだり、辛い状況から脱しようと試みたりすることが、意味のないことではないということを“私が”忘れてはいけない。

 正直、このところ誰かが苦労している話を聞くと、他人と自分の人生を引き比べて甘ちゃんな自分に引け目を感じてしまったり、その引け目から「私だって大変/不幸」という物語を作ってしまったりして、自分が嫌になる。「でもね、私もこういうところは大変なの。あなたはその部分では恵まれてるじゃない?」みたいな誰も救われない物語で自分を貶めている。そこに何某かの真実が含まれていたとしても、だ。誰も私がラクしてるとか甘ちゃんだとは言っていないのに。視点ズレまくり。

 自分の思うように生きれなかったことを他人の所為にするのが嫌だから、できるだけわがままな生き方を選んでいるつもりなのに、気がつけば言い訳だらけで生ききれていない自分がいる。ちゃんと生きよう。

 

 

 
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posted by piggy_fsite at 15:13 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
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