2008年02月10日

【派閥】
政党その他の集団の内部において、出身や縁故、特殊な利権などによって結びついた排他的な集まり。
三省堂提供「大辞林 第二版」より


うちの職場にも昔はいくつかの派閥があったらしい。今残っているのは、1つだけなので言ってみれば仲良しグループのようなものなのだが、人事などに口が利くという力のために、一線を画している。

派閥があればアンチ派閥がある。

横暴な力を行使しているのは派閥の方なのだから、なんにせよ、彼らの方に問題があるというのはわかっているのだけれど、個人的には普通の気のよい人々なので、彼らと仲良くすることで「派閥のイヌ」になったのかと疑いの目を向けてくるアンチ派閥の人々を時々見当違いに恨みたくなる。

実際にしている仕事の内容や出来ではなく、誰と仲良くしているかなんてことで、仕事上の関係をギクシャクさせるなんて子どもじゃないか。

そしてそれに振り回されている私も、子どもだ。みんなと距離を置いて付き合えばいいものを、八方美人に誰とでも仲良くしようとするからこんなことになるのだ。
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posted by piggy_fsite at 06:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
派遣で事務をしている方の大学で、研修を受けた。

心理的に問題を抱える学生や学習障害をもつ学生への対応に関する研修会で、複雑な気分だった。

自分も軽度ながら学習障害と言われたこともあるし、それがないにしても、勉強に打ち込めないことに悩んでいるとして、手を差し伸べてくれる人・機関が大学内にあるとしたら、それは本当に救いになると思うのだ。「希死念慮」というらしいが、家族と離れて多感な大学生活の中で生きる希望を見失ってしまったとき、話す相手がいることがどれだけ救いになるかと思うのだ。

だけれども、大学で学ぶことは決して「人として学ばなければならないこと」なわけではない。なんとなく入った大学をなんとなく辞めてしまったとしても、それ自体はそもそも問題とは言えないはずだ。大学で友だちができない、授業に出る気にならない、そういう事態のどこまで大学が<教育として>関わるべきなのだろうか。学生のわがままに過ぎないと言いたいのではない。大学に適応することになど、いかほどの意味もないと言いたいのだ。

そもそも、身体障害に関しては、いまだ多くの大学が建物や立地によって潜在的に入学を拒否し、あるいは入学時点でどのようなサポートが必要なのかを本人自身に問う。つまりは、大学が「正常」と判断する範疇を超えている学生については、学修にともなうリスクは学生の自己責任で、主張すればそれに応じる心構えはある、という程度のものに過ぎないだろう。

それなのに、精神障害や学習障害など、本人すら自覚のない症状に、数時間の研修を受けたとて、素人同然の教職員がどのように対応できると言うのか。多動で教室で授業を受けることのできない学生のサポートなど、サポート体制を事前に用意しておかなくては、教員が個人的に対応できる範疇を超えている。まして、一体どの学生がそのような「病」を抱えているのかについては、守秘義務によって教員には知らされないのだ。

学生相談室の臨床心理士の先生方は、障害ついては紹介してくれるが、どちらかと言えば、素人が対処できるものではないことを匂わせる。しかし、研修会に参加していない教職員を闇に、障害に理解のない者・偏見を持つ者のような言い方をするので、個々人に障害への理解を踏まえた学生対応を望むような態度でもある。学生との関わり方や発言には、部署や立場によって制約があることをご存じないのか、わかった上での啓蒙活動なのかわからないが、学生相談室以外の具体的なサポートに関わる制度やシステムについては、事例紹介すらない。

たかが、90分の研修会に私が求めすぎなのだろうか。
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posted by piggy_fsite at 05:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
前の記事の続きで大学ってなんなんだという話を何度か書こうとしているのだけれど、何度書いても「当たり前」のことしか書けなくて消してしまう。

言いたいことは、

1)大学が就職のための実学指向になったとしたら、社会における大学の存在意義はなくなる。なぜなら、大学は既存の社会の「知」を超越していくことに本来の目的があるから。

2)高校までの勉強ができるかできないかは大学で学ぶことに向いているかどうかは関係ない。高校は問題を与え解く勉強をさせるところ、大学は自分で問題を見つけさせ、探求の喜びを知るチャンスを与えるところ。探求のレベルは本質的問題ではない。

3)自主的に学ばない者に何も与えないような大学教育が、就職の際の要件になるのは企業の怠慢。


だけど、今どきこういうことを言うと、60オーバーの大学教授にも「古い」と言われる。

現実的には、モラトリアムどころか漠然とした「知」への好奇心もない学生、学習障害をもつ学生が増え、彼らをほっておくことが許されない状況になりつつあるし、就職率が大学の人気を左右し、常識を疑う前に常識を教えることが大学の期待される役割となりつつある。

ただ、それらに応えることが、目の前の危機に対応するために必要なのは理解できても、その結果、大学でしか学べないことが学べなくなり、大学にしかできなかったことができなくなったりする時、それが本当に「正解」なのか、と疑問に思うのだ。
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posted by piggy_fsite at 04:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
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