2009年02月26日
新しく新入社員が入ってくるにあたって職場の案内を頼まれた。ついでのように「既婚者だから変な気を起こさないように」。

それを冗談だと思えるなんて。

笑って「失礼なぁ」と言っている自分が虚しい。
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2009年02月25日
性別役割分業を批判する立場にいながらも、「専業主婦」を安易に否定できない理由はいくつかあるだろうけれども、一つは「専業主婦」の否定が、育児や家内労働(以下、再生産労働)の価値を矮小化し、それが生身の母を敵に回してしまうのみならず、市場労働中心の価値規範に絡めとられてしまいがちなことにあると思う。

フェミニズムはよく誤解されているが、女性に男性と同様の働き方を推奨する思想ではない。とにかく働いて賃労働の中に自分の生きがいを見つけなさい、それこそが自立で「自己実現」なのだなどど主張するフェミニストはまずいないだろう。

とはいえ、現在の実社会の中で、家父長制や性別役割分業に回収されることなく、それでいてマージナルな領域にも価値を認めるような生き方を模索することは、並大抵のことではない。

教壇に立って、「専業主婦」を夢見る女子大生と対峙するとき、再生産労働やその他の賃金に還元されないマージナルな活動の価値を低減させることなく、そのような生き方を女性の役割として安易に選択あるいは受け入れることの危険性をどのように説いたらいいのか悩む。

おそらく、これは私がフェミニストだからというわけではなく、社会で活躍することを学生に期待する多くの教員は、「楽だから」とか「働きたくないから」という理由で「専業主婦」になりたがる学生に対して何某かのコメントをしたいと思いながらも、それが押し付けになることを怖れて、ニュートラルな意見を言おうと苦心しているように思う。

確かに、天職を見つけるだとか仕事で自己実現するなんていうことは、かなり怪しげだし、就職できない学生に「仕事をせねば人にあらず」と思わせるのはおかしい。

それでも、大学は学生を卒業後に当然、社会に資する仕事につく者として扱うべきだと私は思う。

大学などの教育機関の外側では、女性はいたるところで「働かない」という選択肢をちらつかせられて、働く・働き続けるということを主体的に選ばなくてはならない。そしてその選択に理由を求められることになる。ずっと子ども扱いを受けてきた学生時代を終え仕事に就き、嫌なこともあるけれど自分の力を発揮する場を得られれば、仕事ほど楽しいものはない。それなのに、何故働くのか・頑張るのかを暗に明に問われるのでは、やりきれない。むろん、置かれる状況は就職先によっても異なるだろうが。

そのような女性をとりまく社会的状況の中で、大学の教員が女性の働く・働かないという選択についてニュートラルであるべきだろうか?

女性が市場労働で活躍することの困難が男性より大きいのだとしても、それをもって「専業主婦」を避難場所として選択することを、社会に人材を輩出すること使命とする教育機関が留保なしに認めるべきだろうか?

一方で、女性は子育てや家事に幸せを見出すのが当然という観念が残存しているのに、他方は働くことに幸せを見出すのが当然とは言い切らないで、どちらとも言えるね、では、仕事で頑張る女性や仕事と家事の両立に苦心する女性の立つ瀬がない。

今の社会で、女性を「働いて当然」として扱えるのは誰なのか、考えてみれば、大学の存在は大きい。賃労働に必ず就けとは言わない。しかし、少なくとも社会に資する仕事、私(わたくし)に向かうのではなく社会に向かう活動に参与するのは、社会構成員として、また大学教育まで受けた人間として当然のことだとして学生に接するべきではないか。

最高学府の女子学生さえ、クリントン氏の活躍を特別な「強さ」と捉える教育の現状を日本は恥じるべきだと思う。
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