うーむ、自分の中にある若年差別意識について。
前にこの記事書こうと思ってたんだけど、誰かに対して抱いた差別意識とか見下しの感覚とかそういうのって正直に話すことが誠意になるとは思ってないんで、自己満足にしかならないなら書かない方がいいかなーと思ってあきらめたんだけど、そもそも日記って自己満足だしとかいう正当化をして、ちょっと書いてみる。相変わらず絡まれてしまうrir6さん申し訳ありません。てゆうか、絡まれていること自体知らないかなぁ。
なんか、rir6さんの記事に対して、高校生という理由だけで根拠を説明せずに幼稚と批判して、しかもそれを学校教育のせいだと言っている記事があって、その記事自体は多分rir6さん自身、「あ、自分のこと書いているなー」と思ったぐらいで相手にもしてないと思うんだけど、私としてはそれなりに腹が立ち、しかし自分の中にも同じようなところがあるということを微妙に嗅ぎ取り自己嫌悪に陥った次第。
【前振り‐若年差別について】
一応、あるテクストが、どのような立場から述べたものなのかによって正当性が変わってくること自体を否定するつもりはありません。どれほど客観的な分析に徹していたとしても、文脈に位置づけて理解することが語り手の意図とそのテクストの意味をより深く理解するために重要であることには変わりないと思っていますし、文脈を理解するためには語り手の立場を知らなくてはなりません。そうでなければ、テクストが読めないということではないし、誰が書いたのだとしても正当な手順を踏んだものは説得力があるとは思っています。
でもここで言っているのはそういうことではなくて、反論するだけの材料を持たないために、語り手の属性をもって結論の正当性を疑わしいものだと決めつけたり、そもそも語り手の主体性が疑わしいものであると主張する、そういう批判にもならないやり口があるということ。上述の記事では、rir6さんが自分より年少であるということをもって、無謀にも、テクストの内容だけでなくそれが彼自身の語りであることにすら、疑いをかけようとしています。
若年差別とか年齢差別などと言うと仰々しい感じがするかもしれませんが、もしも年齢による区別が本当にただ年上ということのみをもって優位に立つものならば、それはまあそれでいいんじゃないかとも思えるわけですが、そんなはずもなく、この場合(とくに男性にとって)、年齢は能力と結びつけられて価値を持ちます。そして年が若いということは無能・低能であることの根拠に想定されるだけでなく、彼が有能か否かの判断基準になっているということ、それが上述の記事が差別的であると私が考える理由です。
【で、自分の中の差別意識】
で、こういうやり口をとても卑劣だと感じつつも、自分に同じような視点があることに気づく。というか気づいていたから、多分この記事により嫌悪を感じたんだと思う。
前にrir6さんの友人のブログで、rir6さんの写真を見て、そこで初めて私は彼が高校生だということを知ったんだけど、それまでは年齢も社会的地位も自分より上の人間だと勝手に思い込んでいた。それで、高校生と知って、私は、驚いたけれどもその後すぐに写真を見ながら「彼はモテるだろうな」と思った。この「モテるだろうな」が、なんで差別や見下しの感覚なのかというと、例えばこれは、薔薇を見て「きれい!」と思ったのではなく「品評会にかけたら上位入選しそう」と思ったようなものだったから。重要なのは、rir6さんの写真を私がどう思ったかではなくて、もしこれが私より年上ならば例え椎名桔平似だろうと役所広司似だろうと、「かっこいい」とは思いこそすれ、性的な存在としての価値をはかるような「モテそう」かどうかという視線を彼に向けることはなかっただろうということ。
性的な存在として彼をまなざすということは(言っとくけどオカズにするって意味じゃないからね)、例え性的な存在としての彼を(「モテそう」とか)高く評価しようとも、他のあらゆる彼の属性を無効化するという意味で、彼の全体性を剥奪する。いや、性的な存在としてまなざすことが須く(すべからく)悪いことだと言いたいのではないのだけど、そのようなまなざしを向けたのが、彼の写真が非常に魅力的だったというよりも、彼が自分よりも年少であるという理由からだったというのが、私の内なる若年差別意識に基づいているのだな、と思って自己嫌悪に陥った次第。そんなこと言いつつ、年齢を知ってしまう前の自分には戻れないわけで、あほな妄想記事とか書いて、全然反省してないっぽいよな、私。しかも、例によって、本人からクレームでも無い限り、記事の削除はしないんだわ。
【話はこじつけみたいにセクハラに飛ぶ】
こういうことに「ああ、やだやだ私ったら」と感じるのは、例えばこれは男性教授が女子学生に「かわいいね」という褒め言葉を投げかけるのがどうしてセクハラになるのか、という問題と同じからくりだから。以下に述べるセクハラの概念がフェミニストを自称する人々に共通の理解であるとは思わないで欲しいのだが、私の感覚で言えば、女子学生が髪を切ったときに「お、似合うね」などと声をかけるぐらいは、(そして男子学生が髪を切ったときに同じように声をかけるのならば尚更、)セクハラとは呼ばない。たとえ、言われた女子学生が「こいつ、キんっもー!!」と不快になったとしてもである。
セクシュアル・ハラスメントとしてまなざしが問題になるのは、彼女に学問(/業務)を教授(/指示)してそれを評価すべき立場にある人間が、性的な存在として評価するまなざしを女子学生(/女子社員)に向けることによって、学生(/社員)として評価するまなざしを失ったり、あるいは失っていると彼女や彼女とともに学ぶ(/働く)他の学生(/社員)に認識され、そのことによって彼らの学習(/働く)意欲をそいでしまうことだ。だから、例え褒め言葉だとしても本分である学術(/仕事)に関係の無い外見について、しょちゅう言及するというようなことを避けて、あるいは常日頃からそのようなまなざしを持っていることをにおわせるような「今日"は"」とか「いつもより」とか、そういう表現をしないようにすれば、何もセクハラ発言をしてしまうのではないかということに過剰に敏感になる必要はないと思う。
不快にさせることが問題なのではなくて、下位の者(抵抗できない者)を正当に評価せず、しかもそれに納得することを強要し、またその事実が隠蔽されること。いや不快は不快で問題なんだが、その不快自体が表面化しない構造が問題というか。
ただ、実際に性的な存在として見ないようにするというのは、簡単ではないかもしれない。ヘテロ男性にとって、自分より下位の立場にある女性を性的な存在として見てしまうということは、それはその女性があなたにとって異性だからではなくて「女(性的弱者)」だからなのだ、と言ってもあまりピンとこないというのも分からなくもないからだ。年少の者が年長の者に一方的に評価されることが、不平等と認識されにくいの同様に、男が女を性的な存在として評価することの権力性は認識されにくい。それは男も"同様に"女から評価される立場であるという認識があるからでもある。
もちろん、女も男を性的存在としてまなざしているし、その評価が低ければ尚のこと、彼の尊厳を傷つけることを疑うつもりはない。ただ、棒人間(manでもいい)がときに「人間」として描かれ、しかし「女」と対比されることによってそのまま「男」を表現しうるのと同様に、高級な「人間性」と高級な「男性性」の間には、高級な「人間性」と高級な「女性性」の間ほどの乖離はない。だから、女性を性的な存在としてまなざすことは、例え彼女を高く評価するのだとしても、まなざされる側の全体性を奪う力が、女性が男性をまなざす時よりも大きくなると考えることができる。
仮に、このようなまなざしの男女間における非対称性が存在しないと仮定しても、権力のある側からない側への性的存在としてのまなざしはやはり暴力的だと思われる。上位の者はそもそも仕事や教育という本来の目的で下位の者をまなざし、評価する立場にあるから、自分がまなざしを返されることなくまなざすということの不均衡さに鈍感になり、性的な存在としてのまなざしについても、うっかりと下位の者へことばや態度で表現してしまいがちになる。下位の者はそれを拒んだり、嫌悪をしめすことが立場上できないために、上位の者はなおさら自分のまなざしの不当性に気づく機会を逃し、結果、自分のまなざしのみを一方的に了承させることになる。
最初に私の差別意識を正直に話すことが誠意にならないと言ったのは、このような意味でもそう。結局、不当なまなざしを素直に話すことは、彼に対する自分のまなざしの押しつけになってしまう可能性を持っているから。幸運にも彼は私の弟子でも部下でもないので、彼がこの記事を見たとしても私に対する嫌悪感をぶちまけることができるはずだと私は思っているのだが、それももしかしたら私の思い込みかもしれない。申し訳ありません。削除要請があれば削除します。
ええと、話は戻って、まなざしてしまうこと自体にいちいち罪悪感を抱けとは言わないが(え?私は罪悪感抱くべきだって?)、そのような構造を考慮に入れれば同じ事実が上位と下位の者の間で全く異なるものとして経験されるのだということが分かってくるのではないかと思う。
というわけで、セクシャルハラスメントの問題が加害者のモラルとか人間性に還元されるのではなくて、企業として責任を問われるようになることは、とても望ましいことだと思う。
「セクハラによる心の病は「労災」 厚労省が労基署に通知」(朝日新聞)
ただ、このことによって、被害者の訴えが一社員ではなくて企業全体に対する攻撃だ、みたいにとられて、逆に告発しにくくなるという風にならないか、ちょっと心配。
2005年12月15日
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