2011年11月05日
夏に、映画『ソーシャル・ネットワーク』を見た。単純に影響を受けて、Facebookを始めたのが、かれこれ3ヶ月ほど前か。

Twitterには完全に乗り遅れていたので、Facebookの短文に適した投稿方法に最初は戸惑った。しかも、友人として「つながった」人のニュースフィードの画面には、自分の投稿した記事がデカデカと載るようなので、書く内容も制限される。すなわち、普段知人と会い、まず一声で話し始めて差し支えのないような、棘のない、あるいは意味のないことばである。

Facebookに「近況」を入力をしようとすると「今なにしてる?」と訊いてくるとおり、今まさにしていること、感じていることを書くのに相応しく、考えていることを書くには適さないツールだと気づいた。

Facebookに短くとりとめもないことばを投稿していると、最初は思考停止に陥るのではないかと訝しんだが(いや、実際、思考停止にはなりつつあるのかもしれないが、それはともかく)、不思議に善良な気持ちになってくることに気づいた。「友人」の誰が読んでも差し支えないように、政治的なことは書かない、性的なことも書かない、批判的なことも書かない。それらを取り除き、生活の中の書くに値する事柄を探すのは「良かった探し」に似ている。

私の生活から怒りや悲しみを取り除くと、こんなに平和で幸せな人生を送っている人間がいるのかと改めて思う。耳障りのよいことばばかりを吐いていると、善人ぶっているようで後ろめたくもあるが、そのような人間にもなり得る自分を発見したような妙な気持ちがする。


※ Facebookはスマートフォンの普及以前から存在するが、iphoneの普及によって「現在地」とは現住所のことではなく、今まさに私が立っているこの地点のことを示し、また「今」とは現在のことではなく、今まさにこの瞬間のことを指し示す(つまりは点の粒が小さくなった)ように感じる。Facebookはそういう感覚にかなりフィットするツールなのだと思う。


posted by piggy_fsite at 00:54 | Comment(0) | 日記b_entry.gif
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