2007年04月09日
 ■昨日は選挙でした。当選より落ちる割合の方が少ない選挙では、私も外さないみたい☆

 ■こないだ、友人とご飯を食べに行ったときの話。長文です…。一人は正社員、一人は契約社員、一人は派遣社員(私)。正社員の子の最近の仕事状況を聞いていたらたまげた。

 その子の最近の仕事ときたら、終電がなくなるまで職場で働いて夜中の3時にタクシーで帰宅したり、もしくは仕事を持ち帰って徹夜したり、土日休日出勤したり、その挙句残業手当はつかず、時給に換算したら500円にしかならなくて泣けてきたという話。私は今までこういう話を聞いたことがなかったわけではないが、どこかで「仕事のやりくりが上手ではないからそんなに残業するはめになるのではないか」という疑いを捨て切れなかった。私自身、残業して私の担当している仕事の内容を全く知らない同僚からもっと手際よくやるようにと注意されたことがあったが、その時も腹立たしさ半分、やはりもっと手際よくこなす方法があるのではと自分を責めたりもした。

 だけど今回この話をしてくれた友人は、私の知り合いの中でもかなり優秀な人だし、とりわけもののさばき方というか処理速度にかけてはズバ抜けた人だったから、ショックだった。というか、仮に同じ仕事をもっと早くこなせる人がいる(あるいは方法がある)のだとしても、だからといって残業が係る個人の責任と言えるわけではない、という今さらなことに気づいた。慣れていない仕事で手際が分からないのは当然だし、全ての組織構成員(社員)が全ての仕事について適切な処理を迅速に行えることは理想ではあるが、それを前提にするのは間違っている。現在のマンパワーのキャパシティを超えた仕事量をこなさないと潰れてしまう組織ならば、そのマンパワーの底上げ(人を増やすという形であれ、初めから優秀な人を雇うという形であれ、教育という形であれ)は組織全体の責任のはずだ。まぁ、世の中どうにもならない人材というのもいるのだろうけど。

 話はちょっとズレた。言いたかったのは、そんな優秀な彼女さえ残業しなければならないというのが世の現実なのか、とすれば私の今の状況のなんと生ぬるいことよ、と聞いていた私が思ってしまったこと。

 どちらかと言えばタフな部類に入る彼女が身体的にも精神的にも追い詰められる程の仕事量をこなさなければならない今の状況を受け入れていく過程は、もちろんそんな仕事したことのない私が全容を知る由もないことだけど、それが「フツーなんだ」と思うことで乗り切れている部分もあるんだろうなと思う。私だけじゃない、みんなそうだ、一般企業で働くってそういうことだ、理想はなんであれそれが普通なんだ、そう思うことが超人間的な労働状況を受け入れることには必要になっているように思う。彼女の語り方は、自分の不遇さを嘆くわけでもなく、まさにそれを普通のことと受け止めようとする淡々とした口調だった。

 それが本当に「普通」なのかどうかはさておき、そう思い込むことが女にとってより困難であることは言うまでもない。「きちんとした仕事」についていなくても責められることのない人生を送っている「女ども」を見ても、男は「女だから許されるのさ」と自分と区別して割り切ることができてしまうけど、一方、女には「自分にももっと違う生き方・働き方があるのでは」という迷いが“許容”されているからだ。自分をいや応なく相対化せざるをえない立場は苦境を乗り切るには脆すぎる地盤だと思う。

 さらに不幸なことに彼女は、負わされる責任という意味ではぬくぬくとした労働環境の中にいる私のような友人を「甘ったれ」と軽蔑するには、聡明すぎるということだ。もしも、彼女が私に「あんたはいいよね」と言えるだけの盲目さがあれば、少しはラクなんじゃないかと思う。自分の現実を受け入れるために「こんなの普通」と思う一方で、その「普通」に当てはまらない生き方を歩む人もまた各々の「普通」を生きていることを認めるということは、そうそうできることじゃないと思う。少なくとも私はできてない。

 世の中には、我こそが一番不幸だというようなドラマに浸ることで自分を慰める部類の人もいる(私とかそんな感じだ)けれど、「誰にも分からない私の不幸」という自分自身への憐憫に浸るのは、理想の状態へ自分が到達できていないことへの言い訳にすぎない。もしも本当に自分の今かかえているしんどさとか苦しみとかそういうものが自分だけにしかわからないのだとしたら人間はそれに耐えることは到底できないと思う。だから、(この労働の話を離れても)しんどい立場にある人ほど、彼女/彼ら自身にとって、「私だけじゃない」とか自分は「普通」であると信じることが、自身の尊厳にかかわる非常に重要な過程になってくるだろうと思う。

 だが、しかし。そうだとしても、私(という立場)は、彼女の置かれているような状況を普通と認めることは、断固「してはいけない」。辛い仕事の話を聞けば、「私のしんどさなんてまだまだだなー」と引け目を感じるし、自分が甘いのも事実だ。

 けれども、たとえ嬉々として残業するような輩がどれだけいようとも、そうしなければ組織がなりたたないのだとしても、それでも一日18時間もの労働を強いられ、その対価が正当に支払われない状況を「普通」と“私が”認めてはいけない。それに対する怒りを“私が”忘れてはいけない。現にしんどい思いをしている者に、「そんな残業はするな」とか「手当てを要求しろ」とか「仕事辞めてしまえば」とかそんなことを言っても意味がないのは分かっているけれど(できるもんならしてるだろうから)、現実を健気に受け入れる者たちの労働によって、甘い汁を吸っているやつらが別にいるということを“私が”忘れてはいけない。甘い汁を吸っているのは、「専業主婦」でも「公務員」でも、もちろん派遣社員やフリーターでもないということを“私が”忘れてはいけない。何かを手に入れる為に別の何かを犠牲にするのが世の摂理だとしても、それが本当に対価に等しい犠牲なのか疑問を差し挟んだり、辛い状況から脱しようと試みたりすることが、意味のないことではないということを“私が”忘れてはいけない。

 正直、このところ誰かが苦労している話を聞くと、他人と自分の人生を引き比べて甘ちゃんな自分に引け目を感じてしまったり、その引け目から「私だって大変/不幸」という物語を作ってしまったりして、自分が嫌になる。「でもね、私もこういうところは大変なの。あなたはその部分では恵まれてるじゃない?」みたいな誰も救われない物語で自分を貶めている。そこに何某かの真実が含まれていたとしても、だ。誰も私がラクしてるとか甘ちゃんだとは言っていないのに。視点ズレまくり。

 自分の思うように生きれなかったことを他人の所為にするのが嫌だから、できるだけわがままな生き方を選んでいるつもりなのに、気がつけば言い訳だらけで生ききれていない自分がいる。ちゃんと生きよう。

 

 

 
posted by piggy_fsite at 15:13 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
この記事へのコメント
その甘い汁をすっている立場の経営者です。従業員が汗水垂らして働く時間に家で寝そべっていたりします。作業や拘束という意味での労働時間は社内では最も、当然のことながら短いのです。
でも最終的な経営のリスクを背負っています。厳しい時期、運転資金が足りずに従業員の給料が払えないとき、自分の給料はないのにカードローンで目一杯借り、それでも足りずに子どもの学資保険から借りたりして間に合わせ、自分の給与は会社に貸し付けという形で貰わなかったりもしました。当然生活に困りますから、家族5人の一ヶ月の食費が1万円でやりくりもしました。だから今甘い汁をすっていいんだというわけではありませんが、ある意味では私は24時間働いています。子どもと遊びながらも頭の隅では経営のことを考えています。
 その正社員の友人は、会社を辞めてあなたのような立場になる自由も持ち合わせています。被雇用者は確かに弱い立場におかれることが多いですが、では雇用者はどのような努力をしてあなたのいうような甘い汁をすう立場になったのか。私のような疲弊した地方経済の中で苦しむ経営者からいわせれば、今の日本の非合理的な経営構造の中で、9時5時勤務でどうして十分な給料をもらえる人がいるのか不思議でなりません。
少なくともそういう優秀な企業は数少ないでしょうが、努力してそういう仕事に就く自由も誰しも持ち合わせているとも思います。
今の日本では大企業が空前の利益を上げ、中小零細は存亡の危機にあります。大企業の下では、叩かれながら下請け企業が支えています。それを安い労働力が担っています。大企業の安い商品やサービスに群がり、結果としてそういう構造をつくっているのも一般消費者の選択の結果です。ずる賢い経営者が企んだことだとしても、何の疑問もなくそれに流される「専業主婦」や「公務員」、そして派遣社員やフリーターなども含めた一般消費者なのです。
あなたのいう『やつら』という悪者が本当にどういう形で存在するのか、そういう疑問も是非『忘れないでください。』
Posted by ビビ at 2007年04月13日 04:12
なんでビビさんが自分のことを「甘い汁を吸う」立場の側の人間なんだと思ってらっしゃるのかよく分かりません。「雇用者」だからなんでしょうか。私の文章がそうとしか読めないということでしたら、乱筆を謝罪します。

後から言っても仕方のないことですけど、ビビさんのおっしゃるような「疲弊した地方経済の中で苦しむ経営者」だとか「今の日本の非合理的な経営構造の中」の雇用者は言うまでもなく、私の友人の勤める会社の経営者すら、私は「甘い汁を吸うやつら」と想定してはいません。

私が言っているのは、まさにあなたのように「ある意味では24時間働いている」人間が、そのような過酷な労働のもとにありながらも、「自分には選択の余地があってそうしているのだから仕方がない」とか、「世の中の仕組みがそうなのだからこれが普通なのだ」とか思って働いていること、それが「現実を健気に受け入れる者たちの労働」だと言っているのです。

また、ビビさんの「努力してそういう仕事に就く自由も誰しも持ち合わせている」というお考えには、賛同しかねます(私にその自由がないと言っているのではありません)。

一生懸命生きている人は誰だって自分の得ているささやかな収入や権能・立場は自分の努力や能力の対価と思っているでしょうし、棚ぼた的に得たように言われたら不愉快でしょう(そういう意味で私の文章は不快だったかもしれません)。私ですら、給料に相応の仕事はしているつもりでいます。でも、少なくとも私に限っては、たかだか派遣の事務職員だとしても、それに就くために必要な学歴やらOAスキルやら、私の能力と経歴を支えているのは、私自身の努力以外の、出身階層だとか日本人であることとか健全者であることとか諸々が関係しているということが分かっています。どんな逆境・疎外・抑圧下にある人でもそれを乗り越える「自由」はあるでしょうが、どこかに到達するまでの距離は確かに社会におけるポジションによって違うはずです。

ビビさんは、私が主張するアンバランスな状況に構造的な要因があることを指摘していますが、結局その責任を「一般の消費者」に還元してしまっています。「みんなが悪い」は結局「誰も悪くない」と同じになりませんか。それは、その状況を変えることを不可能だと思っているか、変える必要がないと思っているかのどちらかしょう。

それから、私が言っている「甘い汁」というのは金銭的な利益のことだけを言っているのではありません。英語が世界共通語になれば英語を母国語にしている国が優位に立つのと同じ原理で、ある状況なり価値観なりが特定の社会で「普通」とか「まとも」とか「常識」になるとき、立場によって優位不利が生じるでしょう。その優位な立場にカテゴライズされる個人が、現実の生活のなかで、不利な立場にカテゴライズされる別の個人より優位な立場に立つのかどうかはまた別の話です。
Posted by ピギフェミ at 2007年04月13日 21:25
真摯にお返事を頂いて大変嬉しくなりました。ありがとうございます。ピギフェミさんが自分の生きる姿勢を顧みる文章に違う尺度から難癖を付けたようでちょいと反省してます。すみません。
でもせっかくですからいくつかつけたししときます。
確かに僕はアンバランスな状況に構造的な要因があるつもりで書きました。でもすべての責任を一般消費者に負わせるつもりはありません。雇用者や経営者の大きな責任も認める立場です。ただ、ピギフェミさんが『甘い汁を吸っているのは、「専業主婦」でも「公務員」でも、もちろん派遣社員やフリーターでもない』と断定していることについては再考をしていただきたかったので、反対の極論を書きました。例えば便利さや、不安定さや責任からの自由、という甘い汁もあるのではないかと思います。そして少なくとも私は経営者としてアンバランスさから脱却したいと常に願っています。
現実を健気に受け入れる者たちの労働によって、甘い汁を吸っているやつらが別にいると断定していますが、ピギフェミさんの考えでは、そういうアンバランスさから脱却する主体はやはり『自分』なのでしょう?だったらよそに悪者をつくってもしょうがないじゃないですか。
私はむしろ積極的変革の能動者的立場です。状況を変えることを不可能だとも、変える必要がないとも思っていません。
逆に、自分も構造の中で苦しみつつ、その構造を形成する一員ということを忘れない者であり、だからこそいくつかの視点で脱却する手段を模索するのです。
結局は自分が変革の主体であるということでは一致してると思っています。だったらあるポイントまでの到達距離は違えど、スタートする自由はまだあるじゃないですか。スタート地点や距離までも平等であるべきというのであれば、共産主義に等しいものであり、その実現性の低さとそこに介在した特権階級の得たそれこそ甘い汁は、歴史が証明している事実ではないかと思います。スタート地点にさえつけないものがいるとすればそれこそアンバランスですが、自ら発展できるのであれば前進できるじゃないですか。辛い状況から脱しようと試みたりすることが、意味のないことではないと述べているではないですか。では少なくとも各人は前進する自由を持ってるはずです。
卑しい仕事とされたものを運ぶ仕事である『苦力』の人が、人から諭されて一念発起して学び、博士号をとったという話があります。私の恩師の一人は、その話を知り、60歳過ぎて博士号をとりました。極端な例ですが事実です。距離は彼には問題ではなかったと考えています。
Posted by ビビ at 2007年04月15日 04:26
※このコメントは2007年04月15日 12:59に初投稿した後、ピギフェミ自身が修正しました。

うーん。おおむね同じような感覚だったのかなぁと思った次第です。

>ただ、ピギフェミさんが『甘い汁を吸っているのは、「専業主婦」でも「公務員」でも、もちろん派遣社員やフリーターでもない』と断定していることについては再考をしていただきたかったので、反対の極論を書きました。

なるほど。そうですね。ビビさんの表現を借りるならば、「専業主婦」も「公務員」も「派遣」も「フリーター」も“その構造を形成する一員”だと思います。

(この部分にあった文章は修正後、削除しました。)

ですので、大変紛らわしい私の文章の意味は、「専業主婦」や「公務員」や「派遣」や「フリーター」が責任を免除されるべきという意味ではなく、「専業主婦」や「公務員」や「派遣」や「フリーター」であるというだけで、その責任を負わされるのはおかしいという気持ちだったんですが、「別にいる」って書いてるので、普通に読んだら通じるはずありませんね、すみません。「別にいる」っていうのは特に具体的な悪者を考えていたわけではないです(そこが甘いのか)。でも、なんとなく「公務員」や「フリーター」を羨ましがったり妬んだりするのは間違っている気がします。

>甘い汁を吸っているやつらが別にいると断定していますが、ピギフェミさんの考えでは、そういうアンバランスさから脱却する主体はやはり『自分』なのでしょう?だったらよそに悪者をつくってもしょうがないじゃないですか。

うーんと、「やつら」という表現がまずかったのかもしれませんが、これは自分とは別の誰かを特定しようという意味で書いたのではありません。「私(/あなた)」という個人が責任全てを負う必要がないということは、「私(/あなた)」は全く責任がない、ということとは別ですよね。脱却する主体が「私」であれ、「やつら」には「私」も含まれているんです。ややこしいですね…。「私にも甘さがある」というときの「私」の責任と「やつら」の一部であるところの「私」の責任をどう表現し分けたらいいのか迷うのですが。ビビさんはご自分のことを「自分も構造の中で苦しみつつ、その構造を形成する一員ということを忘れない者」とおっしゃっているので、なんとなくこの感覚わかっていただけるのではないかと、自分の文章のつたなさを棚にあげて期待します。

ちなみに、アンバランスから脱却する主体は「自分」ではあり、「自分」ではありません(なんのこっちゃ)。脱却する主体は「当事者」ですが、自分の置かれている状況が不当なものかどうか判断したり、それがどういう構造に支えられているのか分析したり、それを変えていこうとするとき、「私」は「当事者」の視線から距離を置かなくてはいけませんよね?「自分」が「自分」の状況を変えたいと思うとき「私は悪くない。悪いのは別のやつだ。」と言ってもしょうがない、というのはおっしゃる通りなのですが、一方で「私が悪い。私が頑張ればなんとかなる。」でもダメです。だから、そう思っている人(そう思わずにはやってられない人)の傍らにいる“私が”それに単純に共感してはいけないと思うのです。私は賢い方ではないので、自分の問題となると、客観的に見てるのか人の所為にしてるだけなのか、自分でも分からなくなってしまいます。だから、脱却する主体が「自分」でしかないときは、改革という意味でのアクションは起こせません。ただ「がんばる」だけです。もしくは諦めます。それを潔いとはもちろん思っていません。

>スタート地点や距離までも平等であるべきというのであれば、共産主義に等しいものであり、その実現性の低さとそこに介在した特権階級の得たそれこそ甘い汁は、歴史が証明している事実ではないかと思います。

共産主義については詳しく知らないので、距離の平等が共産主義的であるという指摘も、そうであるから検討に値しないという主張もよく分からないです。実現性が低いというのはおっしゃる通りと思います。そういう世の中を作るためにはどうしたらいいかを考えるというのは、私にも途方もないことのように思いますが、しかし、「距離に違いがあるのは当たり前」「みんなそれぞれ違うし苦労している」でひとくくりにしまったらどうなるか。自分が人より長い距離を歩いていることを気にせず頑張れるようにはなるかもしれませんが、自分が人より短い距離を歩いている時も気にしなくなってしまうかもしれません。特に私のような自分に甘い人間は、踏みつけてる人間のことはすぐ忘れます。恐らく、ビビさんは自分に厳しい方のようですし、私は自分に甘い方なので、前提にしている感覚が違うのではないかと思います。

60歳と言わず、2、3年中には博士号を取れるように頑張りたいと思ってます。取って、さらに甘い汁を吸う立場になったあかつきには、それを還元できる人間になりたいです。
Posted by ピギフェミ at 2007年04月15日 14:47
そうそう、僕もいつか還元できることを念じつつ力を蓄えています。ずいぶん難しい思考に向き合っているんですね。僕なんかはもうずいぶん考えることをやめてしまっていますが。だから久しぶりに楽しかったです。まじめに考えることを思い出して。なんて書くと不謹慎か。
とにかくピギフェミさんの考えは理解できました。博士号きっととってくださいね。
Posted by ビビ at 2007年04月17日 02:43
クロスマイハート 野いちご この判断により たな 捜査筋 の場所 月は 犯行 タヒチ 国際
Posted by 野いちご at 2007年04月17日 04:37
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