2008年02月10日
派遣で事務をしている方の大学で、研修を受けた。

心理的に問題を抱える学生や学習障害をもつ学生への対応に関する研修会で、複雑な気分だった。

自分も軽度ながら学習障害と言われたこともあるし、それがないにしても、勉強に打ち込めないことに悩んでいるとして、手を差し伸べてくれる人・機関が大学内にあるとしたら、それは本当に救いになると思うのだ。「希死念慮」というらしいが、家族と離れて多感な大学生活の中で生きる希望を見失ってしまったとき、話す相手がいることがどれだけ救いになるかと思うのだ。

だけれども、大学で学ぶことは決して「人として学ばなければならないこと」なわけではない。なんとなく入った大学をなんとなく辞めてしまったとしても、それ自体はそもそも問題とは言えないはずだ。大学で友だちができない、授業に出る気にならない、そういう事態のどこまで大学が<教育として>関わるべきなのだろうか。学生のわがままに過ぎないと言いたいのではない。大学に適応することになど、いかほどの意味もないと言いたいのだ。

そもそも、身体障害に関しては、いまだ多くの大学が建物や立地によって潜在的に入学を拒否し、あるいは入学時点でどのようなサポートが必要なのかを本人自身に問う。つまりは、大学が「正常」と判断する範疇を超えている学生については、学修にともなうリスクは学生の自己責任で、主張すればそれに応じる心構えはある、という程度のものに過ぎないだろう。

それなのに、精神障害や学習障害など、本人すら自覚のない症状に、数時間の研修を受けたとて、素人同然の教職員がどのように対応できると言うのか。多動で教室で授業を受けることのできない学生のサポートなど、サポート体制を事前に用意しておかなくては、教員が個人的に対応できる範疇を超えている。まして、一体どの学生がそのような「病」を抱えているのかについては、守秘義務によって教員には知らされないのだ。

学生相談室の臨床心理士の先生方は、障害ついては紹介してくれるが、どちらかと言えば、素人が対処できるものではないことを匂わせる。しかし、研修会に参加していない教職員を闇に、障害に理解のない者・偏見を持つ者のような言い方をするので、個々人に障害への理解を踏まえた学生対応を望むような態度でもある。学生との関わり方や発言には、部署や立場によって制約があることをご存じないのか、わかった上での啓蒙活動なのかわからないが、学生相談室以外の具体的なサポートに関わる制度やシステムについては、事例紹介すらない。

たかが、90分の研修会に私が求めすぎなのだろうか。
posted by piggy_fsite at 05:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記b_entry.gif
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